そこらへんのくたびれちゃった人のよもやま話

どこにでもいる、ちょっとヨレてる人があーだこーだつらつら書き散らかします。

たくさんの裏紙を君へ

最近、SNS、ギスついてると思うんですよ。

自由主義にさらに拍車をかけられ、さらに多様性が極まり単一化が進んでいる風潮。

そんな中で名のない個人の声があまりにも大きくなっている。

声だけが大きくなり、中身は独りよがりなものが多いので、もはや混沌とした騒音だけが、そこにある。だから見ていて疲れてくるわけです。

 

多様性を盾に自分の価値観と合わないものを否定する人。あなたは自分の価値観に合わないものを多様性に反するとしていますが、それは単にあなたの気に食わない人を封殺しているだけ。巧みに言葉遊びをして一部のシンパシーを得て、よってたかって自分と対峙するものを押さえ込む。あなたがやっているのは、多様性の促進どころか、自分の価値観に合わないことの排斥。

つまり、自分の思い通りにならないからゴネて、その他大勢の人の言動を誘導しようとする子どもと同じなのです。

 

主語をあえて大きくして、個人への批判を社会への提言にすり替えようとする人。

直接自分の意図する人に話をしてください。どうせ、風呂敷を広げてもそこに入るのは1人だけなのだから。

自分が直接人に言えないことの臆病さを社会という、大きくて曖昧なものに転嫁するのは卑怯です。

 

過去と現在の相違点を切り取り、現象それ自体を批判する人。

状況が変わっていくのは当たり前のことですが、それに文句をつけたところで何になるのでしょうか。いろんな理屈をつけてこうなったのは誰が悪いと言う犯人探しをしたところで、変わるものが何かありますか。

まず、あなたは変化に適用する努力を一度でもしたのでしょうか。

そもそも、その変化はあなただけが経験しているものではなく、みんなが経験していることです。問題提起をするのはいいことかもしれませんが、それだけをして何の意味があるのでしょうか。あなたはいつだって問題だとだけ言ってそこへの建設的で現実的な解決法を見出したでしょうか。

適用力のなさを周りのせいにしているだけなのではないでしょうか。

 

SNSはよく、便所の落書きだと言われるものですが、こんな落書きが便所にされていると心穏やかに用が足せません。

私は、よくミスプリントや書き損じをして裏紙をたくさん作ってしまいます。あなたたちの「提言」はそこにとりあえず書いて、気が済んだらシュレッダーにでもかけるのが適切でしょう。

と、ここまで書いて一番ギスついているのは私であることに気づきました。全部お前らのせいだ。