そこらへんのくたびれちゃった人のよもやま話

どこにでもいる、ちょっとヨレてる人があーだこーだつらつら書き散らかします。

自分になってしまった日

私はこのブログを既に人格形成が終わってしまった人たちが読むことを主に想定して書いています。

なぜなら未来ある子ども達に、あとは世間に揉まれていって人生の落とし所を見つけるしかないだけのこんな人の文章なんて読んでもわからないだろうし、わかってしまったら世も末だと思うからです。

話は変わりますが、あなた達が今のあなたとなった瞬間だったり、出来事だったりそう言う決定的なもの、

つまりはあなたの今の人格を形成するきっかけとなったのはどの時点にあるでしょうか?

何言ってるんだこいつは、人間ができるのは日々の連続の中だろう。

確かにそうです。でも、その連続が順調にちょっとづつ重なってくっていう人はそんなにいないのではないでしょうか。

今回は私がいまの私になるきっかけとなってしまった日のことについて書きたいと思います。

そもそも、今の私はどんな人物かというと、根暗で自己肯定感が低く、ひねくれている、概ねそんな人間です。

それは、中学3年のことでした。

その時私は体育祭の応援団をやることになりました。誰もいなかったから半ば押し付けられました。

一緒に応援団をすることになったのはその時つるんでいたというか一方的になにかと絡んできた奴と、クラス一のイケメンといわれてた陽キャ男とクラス一の美人と言われてた陽キャ女と陽キャなのに学年の中でも一二を争うバケモノではと言われてた女でした。そして、私は学年一のクソブス陰キャ男でしたが、まだそのことははっきりと自覚はしていませんでした。

応援団はクラスで応援合戦的な時に男女ペアになって踊るダンス的な物を事前に覚えてクラスのみんなに教えるというのが一番重要な役割でした。

なので、一番最初に応援団内でペアを作ることになります。

話し合いの中で、クラス一のイケメンとクラス一の美女がペアになり、バケモノと言われてた女と私がペアになることになりました。

私はそもそも応援団を流れでやることになって特に何かこだわりがあったというわけではないし、(強いていうなら踊る曲目を応援団の意見で決められるということだったので、その時からハマっていたB'zを万に一つでも曲目に入れられればと心の隅で思ってましたが)カーストが上の人に意見なんてする気もまるでありませんでしたので、異論はありませんでした。

私と組まされた人はちょっとだけ、不満を一瞬滲ませましたが、まあ淡々とやるかくらいの感じでした。

しばらく、曲目や振り付けを決める打ち合わせをしたり、練習をして、みんなに教えていこうという段階にほどなくしてなりました。

そして、クラス練習も進んでいき、あと体育祭までもう少しだとなりました。

いつものように放課後クラスみんなで残って練習している時、自分とペアを組んでいた女が何かが彼女の中で切れたようです。

「私、こいつと組みたくないんだけど、どうしても無理」と大声で言い出しました。

そして、なんだかわからないですが、強引にクラス一の男女ペアの美女の方と私が組んで、イケメンと組まさないとやらない、という主旨のことを言い出しました。

美女の方は割合穏やかな性格で、その場を収束させなくてはと言う思いで、わかった、私がこいつと組むから、、、とその日からペアが変わりました。

この時点でこんなにはっきり、半ば公開処刑な感じで嫌悪感を示されてしまい私は割とショックでした。

ブスにさえ嫌われたおれはなんなんだと言うのもあったんですが、それ以前に自分ってなんて無価値なんだろうと気付かされました。

そして、その美女とペアを組んで進めることになったのですが、話してて表情は笑ってても目の奥が笑ってないし、なんなら目線はこちらから常に逸らされている。

クラスの他の陽キャ内では、あの美女があのあいつと組まされることになってしまったかわいそうとなってて、私はいたたまれないのです。

薄々自覚してたのですが、私は人から嫌われる存在だとこの時はっきり気づきました。

色々と自分を見つめ直して、応援団を流れだけども最後の最後に断らなかったのは、もしかしたら自分も応援団をやったら陽キャの仲間入りになれるかも、という浅はかな打算が少しだけあったとも気づきなおさら自己嫌悪に陥りました。

この経験から私は、人々の中心にはいられない存在で、むしろできるだけつつましく、隅っこで生きて他人の迷惑にならないように過ごさなきゃいけないんだ、みんな自分を嫌っている前提で生きていかなきゃと思うようになりましたし、反面、人々の中心にいるような人を憎むようになりました。完全に嫉妬、ないものねだりですね。

だから陽キャは嫌いだし、ワンピースのルフィなんかには感情移入ができない。

そして、劣等感が転じて、自分の身内じゃない人々は自分のことが嫌いなんだから、その人らは自分の敵だとも思うようになり、赤の他人の幸せを見せつけられるのが嫌いになり、人の嫌なところばかり見つけては陰でネチネチ言うようになったり被害妄想が激しくなったわけです。

この記事を書き始めたのは、9月頃でしたが、改めてあの出来事を振り返って、自分の中に落とし込んで言語化するのに思ったより時間がかかってしまいました。

ちなみに、この経験から私は世の中で美女と言われてるような人が怖くなりました。だって目の奥が冷たいから。