そこらへんのくたびれちゃった人のよもやま話

どこにでもいる、ちょっとヨレてる人があーだこーだつらつら書き散らかします。

完璧なアイドル

テレワークで仕事がはけて暇な時、YouTubeの動画を漁って見てるんですけど、X JAPANのToshlが怪しい宗教団体に洗脳されてた時の様子やその団体を脱退したあと当時の自分について話してる動画をたまたま見つけたので見てました。

要約すると、周りの要求する水準を満たすようなパフォーマンスができず、思い悩んでいた時に、その団体の主宰の創作物に触れ、興味を持ったところ自身の妻もその団体の一員であったこともあり、一回その会合に行き主宰に会ってみたらその人の考えに共感してどっぷり浸かったというところでした。

脱退した経緯は日頃から暴力や罵倒を受けるようになったり、自分の稼いだ金をほぼ全て献金するようにされたり、妻を主宰に寝取られた(最初から勧誘目的で結婚したのかも)り、アレだけ憎むべき自分のいたバンドを復活したらめちゃくちゃ金が稼げるという話をきいた主宰が再結成するべきと手のひら返したなどらしいです。

ひどい話ですね。特に奥さんもグルになってるってところが救いがないですね。

っていう動画を見て、自分は元・父親の近況を思い出しました。

近況と言っても5年前くらいの話ですが、彼もまた、そこまでいかがわしいものかはわからないですけど、なかなかにいかがわしい宗教にいつのまにか入信してました。

これは、私が会社の配属の都合で実家から遠く離れた地域に住んでいたときの話です。

その時私は慣れない一人暮らしや、仕事のストレス、実家の家族との関係悪化などもあり色々と思い悩んでいました。

その地域は元・父親の地元で、たまに帰ってきた時に会っていたのですが、ある日再婚相手を紹介したいとのことで、3人で集まることになりました。

食事などをして、和やかに過ごして解散かと思ったら、もう1箇所連れて行きたいところがある。きっと今いろいろうまく行かないことが楽になるから。とのことでしたので、温泉にでも連れてってくれるのかと思ってノコノコついて行きました。

車で連れて行かれた先は、現代的な建物でありながら屋根に寺とか五重塔とかの屋根の上についてる仏教版避雷針みたいなアレがついてて、いかにも「怪しい宗教の建物です!」っていう感じのところでした。

あっ、これは数人の信者に取り押さえられて、むしり取られると思ってビクビクしながら車を降りて、とりあえずカバンの中に何か鋭利な凶器になりそうなものがないか探すこととしました。

ライターとレシートが何枚かあったので、いざとなったら元の親だろうが誰だろうが掴みかかってきたら建物に火を放ってやると身構えていたところ、ちょっとここで待ってろということだったので駐車場で待つことにしました。

ほどなくして、2人は建物の中から気の良さそうな60代中盤くらいのおじさんを連れてきました。

「こちらはごしょうにん(ご上人?)様だ」

と紹介されました。多分ここで一番偉い人と思われます。

そしたら、このおじさんは頼んでもないのに色々と語り出しました。

今いる苦境はあなたがご先祖様を蔑ろにしているからだ、解決するためには今いる家を出て、元・父親の家系に入り、仏を信じるべき。

それだけではなく、生まれの土地や友人も全て捨て去り、この土地で新たに人間関係を作っていくべき。などとのたまっていました。

自分は一言、そこまで苦しくないのでまだ大丈夫です。と言って、元・父親らに次に予定があるから帰りたいと行って、適当なところまで送ってもらうよう頼みました。

そういうことならと、車に乗せてもらい、適当なところまで送ってもらえるようになりました。車中で、なんなんだあのおっさん、めちゃくちゃなことを言うじゃないか、と文句を言ったら、あの人は偉大なお方なんだと、熱量高く懇々と言い聞かされ、ダメだこりゃと思いながら車窓の外を眺めていました。

その後元・父親はどうなったか知りませんが以来、一度も会っていません。

思うに、もし神さま仏さまなどがいるとして、人間が勝手に作った家族制度に基づいて、その人の価値を判断するはずないのです。

献金すればするほどご利益があるなんていうものも、上位存在に貨幣など価値があるのでしょうか?

そもそも、最も徳が高い存在とされているものが、自然摂理や万物の法則の中でも最も瑣末な存在でしかない人間が信心というものを持つか持たないかで、救い上げるべき存在か否か選別する必要があるのか?自分を信じる者を救ってやりたいなどという、いかにも人間的な感情をそもそも持ち合わせているのか?

いろんな疑念があるので、自分はそう言った類のものは信じません。

しかし、現実にはそう言ったいかがわしいものだけではなく、純粋に教義を実践することで高い倫理観を持って生きようとする人の集まりもあったり、欧米なんかはキリスト教が生活に根付いていたり、なんなら宗教を基にあらゆる文化が発展していますし、一概にその存在価値を否定はできません。

ただ、人は何かを拠り所にしなければ生きていけないものだと思います。それは自分の夢だったり、家族だったり、趣味だったりなんでもいいわけですが、それをたまたま宗教に見出す人もいるのです。まるで、アイドルを推すかのように。