そこらへんのくたびれちゃった人のよもやま話

どこにでもいる、ちょっとヨレてる人があーだこーだつらつら書き散らかします。

おれたちはどう生きるか

このブログを読んでる物好きな方達は、今までの文章を見てお察しのことかと思いますが、私はあんまり人間として程度が低いです。

自分の嫌いなものはとことん嫌って拒否するし、自分がこうと思い込んでそれが間違っていたとして、他の人が訂正させようとも絶対に思い込んだことは曲げない。

自分と自分の身内さえ幸せであれば赤の他人がどうなろうとも知ったことではない。嫌いな人にはとことん不幸になってほしい。

なにかと曲解するようなところがあって、被害妄想が激しい。人と距離を置こうとするくせに承認欲求だけは大きい。

と、自分の悪いところを言い出すとキリがないのですが。

学生時代であればこんな欠陥だらけな人間性でも、ある程度どうにかなったのですが、社会に出てしまうと生きづらいです。

大人になりきれない大人ってたくさんいるんじゃないでしょうか?

そういう人たちを社会に溶け込めている人は社会不適合者とか言うんですよね。

でも適合するかしないかはむしろ、社会を作ってる人達側の問題だと思うことにしてるんですよ。

不適合だと言われてる人々は、ネタや自分のキャラ作り、自尊心を保つためだけに自分らを社会不適合者だとも言いますが、ほとんどの場合それを本心から思っていません。だって、本当にそうだと認めてしまうのは彼らの最後の残されたちっぽけなプライドが許さないからです。

心のどこかではまだオレは社会に溶け込める、本気を出せば行ける、とか思ってるんでしょうね。

でも事実として、一旦溶け込めてる側の人たちからコイツらは不適合だというレッテルを貼られてしまうと溶け込めないんですよ。

だって、アイツら溶け込ませる気がないんだもん。いくら不適合な者側から溶け込もうと努力をしても、溶け込んじゃってる側に不適合なんだコイツはと思われると排斥されるのです。

例えば、仕事とかで失敗したとして、その会社で真っ当に働いてきてた人や、少なくとも今まで社会の中で働いてきてた人であれば次気をつけようねとなりますが、今まで引きこもりとかでしたっていう人が同じ失敗をすると、ややもするとだから社会に適合できない奴は何をやってもダメなんだ。となりかねないのです。

色眼鏡をかけるっていうんですかね、一回そうと認識されると拭えないんですよなかなか。

自分も同じことを言っても違和感ないことを、この自分が発言したっていうだけでおかしいとされることも日常茶飯事です。自分が発言した言葉だってだけで、厳しい指摘を受けるわけです。そういうレッテルを貼られてるから。コイツは考えがおかしいから。何をやらせてもダメだろうから。

非常に生きづらいのですが、かといって社会から離脱するわけにもいかないのです。お金ないとシェーキーズとか行けませんし。

他の人が自分を弾き出そうとどんなに頑張っても自分の居場所にはしがみつきます。というか居場所を用意するのがあんたらの役目だろ。もっとこっちに歩み寄って来い。社会の歪さを生み出しているのは、いつだって多数派なのです。